日本茜の里

      

 2009年、滋賀の地で見つけた貴重な日本茜の株を持ち帰り、失敗を繰り返しつつ日本茜の最適な栽培方法を極めるべく、大阪泉州の忠岡の地で試行錯誤を行っています。

 

 ここは、住宅地の一角に実のなる樹々を植える狭間に、所狭しと日本茜を栽培しております。

 

 3月には、新たな芽が噴き出し、5月頃には蔓が縦横無尽に伸び出し辺り一面が茜の茎・葉で緑に包まれます。

 

 9月末頃からは、小さな白い花が咲きほこり10月にもなれば結実も彼方此方に見られます。

 

 日本茜栽培方法、苗の発信、日本茜染色方法も try&error の精神で実績を積み重ねてきました。今後もより最適を目指しているところです。

 

 『和泉茜の里』の旗を上げ、日本茜の色彩文化を世の中に広げるべく、自生茜を見つけてから、14年目未だ未だ紆余曲折万全な体制にはなっていないのですが、昨年より積極的に全国を回り日本茜の色彩魅力を広め、能楽の大鼓調べ紐を日本茜で染める文化事業に携わり、又、鎌倉期な造られた国宝赤絲威大鎧(畠山重忠が奉納されたとされる武蔵御嶽神社所蔵)の一部紙紐の修復染色に800年振りに携わる事が出来ました。

 ある意味、今の世に日本茜の色彩文化普及の先導役を担っていると自負するところでもあるので、この活動の基点である忠岡の地を『和泉茜の里』を改めて、『日本茜の里』と改名することと致しました。


所在地や連絡先については、アドレスをご参照ください。



 日本の少子高齢化や人口の東京一極集中による人口の移動に伴って、過疎地域がより過疎に、限界集落の増加の中で、耕作放棄を少しでも防ぐべく、緑豊かな田園風景を守るべく、食料ではないのですが、古くて新しい工芸作物とすべく日本茜の栽培を促進して来ました。

 

 第1のステップで、日本茜を大阪府忠岡町の農産物に登録することが出来ました。これで、単なる草では無く自信をもって農産物として栽培にも力を入れることが出来るようになりました。

 

 日本茜をベースに、農-工-商連携の新たな事業化が生まれれば、限界集落での人の営みを守ることが可能となり且つ日本で唯一の『茜の里』を産出すことも可能となるだろう!と。

 

 

 その暁には、染織を営み、また志している皆さんの「心のいにしえ」になるだろう確信しています。


 

新たな里づくり

 

・日本茜の里の身近な岸和田市に、耕作放棄地を求、新たな日本茜畑を開拓しております。

 

・令和元年には、150坪の耕作地を借受け茜畑に変身させることが出来ました。令和2年には、300坪の耕作地を確保し茜畑に変身すべく汗を流しているところです。

 

・又、近隣にて日本茜を栽培したいと望まれる農家さんも歓迎しています。

 

・今や幻の日本茜の赤い色で、石油由来のものづくりからの脱皮―自然由来、植物由来の世に無い新たなモノづくり、事業化を目指しており、引き継がれていく家業とは?と自問自答しながら進めています。

 

・ものづくりの方向は、テキスタイルだけに留まらず、革製品、漆製品、陶器、化粧品、等々視野を拡げ、仲間を拡げて、日本茜=『Japanred』の事業化に繋げていこうとしています。

 

『 日本茜=Japan Red 』

 

応援願います!